Let's 尊厳Life

尊厳City研究所 大川ともゆきのブログ

今ここを全力で生きる

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子供のエネルギーというのはすごいですよね

 

2歳になる我が子を見ていてもよく思います

 

泣く時は全力で泣きますし、

 

次の瞬間には全力で笑っていたりします

 

おもちゃ遊びに集中している時には話しかけても無視されます

 

本当に今ここに集中していて、今ここに全力に生きている

 

しかし、大人になるにつれて、考えばかりが働くようになります

 

いつも考えが頭を支配していて今ここに生きていない

 

感情を出すのに抵抗感が出て、全力で泣けない

 

判断されるのが怖くて、本音をアウトプットできない

 

いかに、蓄積された自分の意思決定のパターンが、本来の人間らしい生き方を阻害するのか

 

「大人なんだから分別をわきまえろ」

 

なんて言ったりしますが、分別ってなんでしょう?

 

要はその時代、その社会の平均的な価値観を分かることを分別と呼ぶのでしょう

 

関係性や秩序を維持するためには重要なことであることは間違いありません

 

しかし、瞬間瞬間、本当の自分を表現できずに保たれる秩序に、本来どんな意味があるのでしょうか

 

「みんなが言いたいことを言って、やりたいことをやっていたら、秩序が成り立たないじゃないか!」

 

本当にそうでしょうか?

 

今までの常識的な考え方であれば、間違いなくその結論に至ります。

 

しかし、21世紀は、みんなが言いたいことを言って、やりたいことをやる時代です

 

それでいて、関係性が、秩序が保たれ、むしろ、クリエイティブが生まれる時代が21世紀だと思っています

 

当然、今までの延長上にそのような生き方や関係性が生まれるのではありません

 

不連続的な変化が必要です

 

不連続的な変化を起こすための認識技術が必要です

 

皆が、認識を変化させ、無限大の共通土台を持った状態になれば、みんなある意味子供のような純粋な生き方ができるんだなー

 

子供を見ていて、ふと思ったことでした

生きるモデル無きAI時代に必要なエンジンとは

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IT社会からスマート社会へ

スマート社会からAI社会へ

 

今、時代は指数関数的なスピードで移り変わっています

10年前の常識がもはや通用しないわけですね

 

10年前と言えば、スマホが登場したばかり

スマホがあるのとないのでは、コミュニケーションもライフスタイルも

仕事のスタイルや、ビジネス戦略まで大きく変わってきます

 

このような時代は、過去の成功体験など通じません

成功体験に依存することなく、次の変化の波を乗りこなさなくてはならないのです

 

そして、AI時代は、変化のスピードはことさら速くなります

10年前の常識が通用しなくなる時代から1年前の常識が通用しなくなる時代になります

 

次々に新しいビジネス、新しい商品が生まれては消えていくでしょう

ライフスタイルもどんどんアップデートされ、働き方も変化していきます

 

つまり、誰かの真似をしていては遅いのです

 

「あの人のようになりたい」

「あのようなライフスタイルを自分も手に入れたい」

 

と思った時にはすでに時代遅れ

というような時代に突入しています

 

つまり、今までの成功モデル自体がもはや限界であり、

「何かを得る」

「何かを達成する」

と言った成就動機自体が限界にきているという事が言えます

 

ではどうすればいいの?

何を目指せばいいの?

 

という声が聞こえてきそうですね

 

これからは高さの成功を目指すのではなく

深さの成功を目指すべき時代なのです

 

物の充足を目指すのではなく

心の充足を目指すべきなのです

 

今ここ、この瞬間を、どれほど深く洞察できるのか

どれほど深く幸せを感じる事ができるのか

今ここに神秘、奇跡を観ることができるのか

今ここに究極までに最悪の状態と究極までに最高の状態を認識できるのか

 

これからの時代のキーワードは間違いなく「認識」です

 

成就動機のエンジンではなく

深い洞察からくる認識エンジンを搭載するのです

 

認識が自由になれば、自由自在にやる気を生み出すことができるでしょう

認識が尊厳から始まって入れば、今ここに最高に感動的な瞬間を観ることでしょう

深い認識をベースとしたコミュニケーションができれば、アイデアが溢れるでしょう

 

これからは、誰かを真似する時代ではありません

皆がオリジナルな生き方を創造するのです

皆がパイオニアであり、皆がリーダーになることです

 

モデル無き時代に、誰もが生きるモデルになる

そんな不思議で面白い時代に我々は生きています

無から有を観る瞑想の本質

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私の両親は、2人とも深い探究心を持った人でした

思想、哲学、宗教、ヨガ、生命科学、歴史、、

様々な角度から人間の本質に迫ろうと、その人生をかけて追求をしていたのです

 

その一つの手段が瞑想でしたが、

私もまた、両親の影響からか瞑想を好んでするようになっていました

 

社会人になってからは、厳しい競争環境の中でセールスをしていたものですから、

日々のストレスは相当なものでした

間髪入れずに上がってくる考えを沈めてリラックスするために、

毎日のようにやっていた時期もあります

 

瞑想のやり方は世に様々あるわけで、

私もその全てを試してみたわけではありません

最近のブームのマインドフルネスでは、初心者でも簡単にできる瞑想も多くあるようですし

 

しかし、多くは座って黙ってやることが多いのでは無いでしょうか?

(もちろん歩行禅など歩きながら、あるいは食べながら、運動しながら行う瞑想などもありますが。。)

 

瞑想をやる目的としては

考えをスッキリさせたい

感情をコントロールしたい

人間の本質に触れたい

隠れた自己能力を開発したい

など様々あるかと思います。

 

私もそのような目的を持ち、まさに手探り状態で様々な瞑想を試していました

もちろん、それぞれのやり方に効果は感じていたのですが、

やっぱり客観性がもっと欲しいなーとはいつも思っていたのです

 

そんな中、nTech(認識技術)と出会って、

瞑想のイメージが大きく変わりました

 

瞑想とは、今ここ、時間も空間も存在もエネルギーもない絶対世界から

時間、空間、存在、エネルギーが生まれるシンプルな仕組みを洞察する

今この瞬間、イメージ言語を使って無から有が生まれている

原因、プロセス、結果の全体像を同時に観ることだったのです

 

ですから、別に黙って座ってやる必要もありません

歩きながらでも、ご飯食べながらでも、音楽を聞きながらでも

いつでもどこでもできます

 

今この瞬間が考えから自由、感情から自由

完全にスッキリした、ピーンと張った心の状態から観る技術

それが、nTechの瞑想です

 

考えから自由になることを目的にやっては真の瞑想にはなりません

なぜなら、今ここ考えから自由なのが瞑想をやる本当の主体だから

 

この体が自分のイメージで瞑想をやってしまったら効果激減です

 

主体のイメージを大きく書き換えて瞑想に取り組むことで、

エネルギーのコントロールもしやすくなり、

心の健康、エネルギーの健康、体の健康、人間関係の健康を維持できる

素晴らしい手段となることと思います

 

詳しいやり方は、またの機会に書きたいと思います。

徳川家康に学ぶ悟りの知恵

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徳川家康公の有名な遺訓があります。

 

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。

 

さすが天下人が残した言葉ですね

まさに時代を超えた人生訓であり、今の時代でも心に深く染み入るものがあります

今回は、この人生訓をnTech(認識技術)を通して解析してみたいと思います。

 

songen-city.hatenablog.com

 

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。

 

私たちは背中に見えない心の籠を背負って生まれてきます

オギャーと生まれた瞬間から、目、耳、鼻、口、皮膚の5感覚をオープンし、

受動的に環境から情報を受け取ります

 

お父さん、お母さん、お爺ちゃん、お婆ちゃん、お兄ちゃん、お姉ちゃん

そして、親戚、隣人、幼稚園や学校の先生、友達

TV、本、雑誌、新聞などのメディア

インターネット上の多様な情報群

 

様々な出会いを積み重ねながら、経験、体験、知識、記憶を蓄積していきます

その中で、正誤、好き嫌い、◯✖️、善悪、浄不浄などの判断基準も蓄積します

ほぼ周りから作られた判断基準を使って日々意思決定を反復するようになるのです

 

そのようにして作られていく判断基準、固定観念、それによるストレスなどが、

まさに重荷であると言えます

 

出会えば出会うほど重荷は積み重なっていきます

人生とはまさに重荷を背負って遠き道を歩んでいるようなものなのです

子供の頃は軽やかですが、経験を積んだ大人になるほど子供のような軽やかさがなくなって、どんどん固定観念の塊、すなわち頑固になっていきます

 

その重荷を背負っていることに気づかず、ただ前だけを見て人生を歩んでいては

どうしても疲れてきてしまいます

道中の景色にも感動できなくなり、目指す山の頂上を見えなくなり、

目線が落ちて目先ばかりの対応に追われる人生になっていきます

 

急いで前進すればするほど、そうなっていってしまうのですね

ですから急ぎ足を止めて、一度自分の背中を振り返る必要があります

 

自分はどんな重荷を背負っているのか

すなわち、自分の無意識の判断基準を明確に確認することが大事

 

そして、nTechを使い、その重荷を一旦リセットしてしまうことです

そうすれば心は軽くなり、道中も楽しめ、目指すゴールも視野に入ってきます

 

不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。

 

重荷をリセットした世界というのは、自分のイメージ、執着を全て手放した状態

それは、自分と自分の宇宙が明確にリセットされた状態を指します

まさに、宇宙の根源、世界の根源と一体になった自分の初心の状態は、

空の境地、悟りの境地であり、同時に出会いの無い”困窮したる時”でもあります

 

その初心に戻ることで、

いかに今この瞬間が美しい出会いに満ちた最高の瞬間であることが認識できるのです

”不自由を常と思え”とは、初心は出会いを自由にできない世界なので、

そこから今この瞬間の出会いを感じることができれば、

足りない、できない、わからないなど、中途半端な不足感から解放され、

その不足を埋めるEGO人間の望みなど起こらない心の境地に達するのです

 

堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。

 

堪忍は堪え忍ぶことの意味ですが、

人間的な我慢のイメージではなく、感情に振り回されない境地を維持するという意味で解析すると良いかと思います

 

日本人はとかく我慢は美徳と捉えがちですが、

21世紀は我慢の時代ではありません

だからと言って、怒りやEGOの欲求を我慢しないで吐き出すという意味ではないです

我慢や怒りやEGOの欲求を卒業し、いつもスッキリの心を維持し続けること

コントロール下に置けない怒りなどの感情はまさに敵であり、

病気状態と捉えることが肝要です

何にも囚われない悟りの境地でいることが、”無事長久の基”なのです

 

勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。

 

勝ったり負けたりという生き方は、それはそれでエキサイティングでしょうが、

競争や戦争のパラダイムはもはや終わりを告げる時代です

勝つと負けるの概念を超克することです

勝ち負けの論理を超えた次元で人生を楽しむこと

そのためには勝ちも知り、負けも知って、その中道で生きる

まさに悟りの知恵ですね


おのれを責めて人をせむるな。

 

己を責めるとは、自らの判断基準や脳の認識について問題意識を持つということです

人や状況、環境のせいにしたところで問題は解決しません

現象が生じている根本原因は自らが背負っている重荷にあるのですから

気にくわない現象が起きた時は、自らの背負っている無意識をチェックして

それを手放してしまいましょう

nTechという技術がないと容易にできないことではありますが。。


及ばざるは過ぎたるよりまされり。

 

足りない方がやり過ぎよりは良いよーと言っています

そう、前進中毒のように前に進めば良いということではありません

何かを得る時代ではなく、今は手放す時代です

断捨離という言葉も流行りましたが、

今まで手にしてきたものを手放す勇気がありますか?

全ての執着を手放して、究極のマイナスができたときに、

逆に何でも手に入れられる自分になっていることに気づくのです

 

何にせよ、21世紀は心の時代です

心の仕組みを明確に理解して、心を完璧に統制すること

それができた時に21世紀の天下人となれることでしょう

21世紀の天下人は1人がなる世界ではありません

誰もが唯一無二の天下人として君臨する

その天下人たちが繋がってチームプレイをする

そんな新しい時代がもう始まっていると思っています

人生100年時代を前に準備すべきこと

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昨年ベストセラーになった「LIFE SHIFT」という本ですが、

最近CMでも流れるようになった人生100年時代”を迎えるにあたり、あらためて今準備しなければならないことについて考えてみたいと思います。

 

20世紀はまさに科学技術の時代でした。

人類の寿命は100年で40歳から70歳にまで伸びました。

その背景には、科学技術に裏打ちされた医療の進歩や衛生環境の改善、食料の大量生産などがあるかと思います。

 

21世紀、人類の寿命は果たしてどこまで伸びるのでしょうか?

前の記事で不老不死について触れました。

 

songen-city.hatenablog.com

 

21世紀のうちに不死が実現するかどうかは分かりませんが、テクノロジーの加速度的進歩は間違いなく平均寿命を100歳以上に押し上げるでしょう。

 

一説によれば、2050年には平均寿命100歳に到達しているだろうという話もあります。

そうなると、あと30年そこそこで2050年ですから、今50代くらいまでの人は100歳まで生きる可能性が高くなるということです。

 

平均寿命が100歳の日本社会を考えてみましょう。

今のように65歳以上に年金を払っていたら、簡単に破綻してしまいます。

ですから、年金というシステムを残すのであれば、受給年齢を80歳以上に引き上げなければならなくなるでしょう。

 

そうなると、年金をもらえなければ生活していけない高齢者は、必然的に働かなければならなくなります。

 

今の政権も、一億総活躍社会をスローガンに掲げ、高齢者の雇用について積極的に施策を打とうとしています。

これは人生100年時代を念頭においた対策の一環です。

2025年には定年が60歳から65歳へと引き上げられますが、その後程なく70歳、75歳と引き上げられていくのは想像に難く無いです。

 

つまり、60歳で定年を迎え、その後は余生をのんびりと・・・

という時代では完璧になくなります。

もちろん経済的に裕福な人たちはそれも可能でしょうが、多くの人にとってはまだまだ働き盛りの60歳ということになっていくでしょう。

 

だからこそ、人生設計を考え直す必要があるよね?と問いかけているのが上記の本なわけです。

 

準備すべきことは様々あるでしょうが、私が考える準備すべきこと、

 

それは、

 

固定観念をゼロ化すること」

 

こそ、一番必要な準備であると思っています。

 

長く生きるということは、それだけ未来を見据えなければなりません。

 

では、今から未来を見据えたときに、その未来社会はテクノロジーと切っても切り離せません。

 

そのテクノロジーの進化は加速度的であり、今後驚くべきスピードで社会を造り変えていくでしょう。

 

それは、自動運転車や空飛ぶ車、ドローン、サイボーグなど目に見えるものから、

ナノボット、ゲノム編集、脳型コンピューターなど目に見えにくいもの、

さらに組織、制度、システムや世界観、価値観、スピード感まで、

とてつもない変化が訪れることになります。

 

今までの常識、固定観念を握ったままではとてもついていくことができません。

ついていけない人間は、当然AIに管理され、AIに使われる人間になってしまいます。

これは多くの人が予測している未来です。

 

逆に、AI時代に活躍でき、AI時代を楽しめる人間というのは、

固定観念や常識に支配されず、クリエイティビティとリーダーシップを発揮して、

あらゆるリソースを組み合わせて価値を生み出すことができる人間です。

 

そういう意味では、今まで以上に人間力やチームプレイ能力が求められる時代になると思っています。

 

その能力を向上させることこそ、今準備すべきことです。

これは断言できます。

 

AIやテクノロジーに依存するような人間は、逆にAIやテクノロジーに支配されるようなるでしょう。

 

いかに、固定観念をゼロ化し、主体性、自発性、能動性、尊厳性を発揮して、自らの人間力を終わりなく向上させながら、異質な存在との活発な交流、チームプレイを楽しみながら価値を生産できるのかです。

 

そのような人材を育成できる教育産業がこれから伸びていく産業となるでしょう。

AI時代に活躍できる人材育成については、過去記事でも多く書いてきましたのでご参照いただければと思います。

 

何れにしても、そのような人間に変化していくためには教育技術が必要です。

私は、nTechという認識技術こそが、21世紀の教育技術に最もふさわしいと考えていますし、新しい教育産業として全世界に普及していくだろうと考えています。

 

教育×経済=Edunomic(Education × Economic)

 

Edunomic時代を切り開く技術こそ認識技術 nTechであると思います。

 

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不老不死について考える

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前の記事で、ユヴァル・ノア・ハラリ氏の著書

「ホモ・デウス」を引き合いに、人類集団の向かう方向性について考えました。

 

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人類は21世紀、神のごとき人類=ホモ・デウスになろうとするだろうという予測を展開しているハラリ氏ですが、神のごとき人類の一つの要素として

 

不死の獲得

 

が挙げられています。

 

「死なない人間」

 

そんなこと実現可能なのでしょうか?

 

何と、科学技術のアプローチから、真剣に不死を研究している人たちもいるのです。

 

2013年9月、Googleは、老化と病気に取り組む医療ベンチャーCalico(キャリコ)を旗揚げし、本気で不老不死の実現への取り組みをはじめました。

 

途方も無い挑戦のように思えますが、近年のテクノロジーの進化速度を見るにいつの日か実現するのでは?と思う観点もあります。

 

米国人でブルック・グリーンバーグさんという方がいました。

 

2013年に20歳の若さで亡くなられたそうですが、

何とその方

 

1歳の頃でほぼ成長が止まり、そのまま20歳まで年を重ねたというのです!!

 

見た目はどう見ても1歳児、脳も1歳児のままで、言葉も喋れない

 

特に脳に問題が発見されたわけでもなく、遺伝子以上が見つかったわけでも無い

 

成長が止まった=老化しない

 

ということ。

 

なので、人類最大の謎の一つである老化の原因と不老のメカニズムがわかるかもしれないと非常に注目をされていた人だったのです。

 

しかし、気管支軟化症という子供が多くかかる呼吸器障害でこの世を去りました。

 

当時のコンピュータの処理能力では、なぜ老化しないのかの原因までは発見できませんしたが、2020年ごろに運用スタート予定のエクサバイトスケールのスーパーコンピュータであれば、おそらくその謎を解明できたと言われています。

 

ということは、不老のメカニズムを解明し、それを何らかの形で再現可能にする方法論は見つけることが可能であるということです。

 

つまり、我々は老化せずに、いつまでも若々しく生きることができる可能性があるということなんです!

 

そういう意味では、その延長上に不死の実現もありえるかもしれません。

 

一方、不死に対する別のアプローチもあります。

 

2005年に始まった、ヒューマン・ブレイン・プロジェクトという世界130大学共同で行っているプロジェクトがあります。

 

同プロジェクトの目的は、人間の脳に関するこれまでの研究成果を結集し、スーパーコンピューターを用いて、脳の詳細なモデルやシミュレーションをひとつひとつ再構築することです。

 

このように組み立てられた脳のモデルは今後、人間の脳の働きや疾患の解明の手掛かりとなりうると同時に、計算科学やロボット工学の革新的な技術発展に寄与する可能性を秘めています。

 

このプロジェクトの本質は、脳型コンピュータ

すなわち、脳のような並列的情報処理を可能とするようなコンピュータを生み出すことでもあります。

それが可能になれば、本当の意味でのAI(人工知能)が実現することでしょう。

 

今のコンピュータの処理速度では到底実現することはできませんが、今後10年、20年と先を見据えたときに、どこかの時点で、人間の脳を完璧にシミュレートできるまでにコンピュータの性能が上がったとき、私たちの脳の情報処理をすべてコンピュータ上にコピーすることが可能になるという話があります。

 

生物的肉体、あるいは生物的脳はどうてもやがて朽ちていきます。

しかし、精神体の自分が情報化されてコンピュータの中で生き続けることができるとしたら、それは永遠に生きることも可能では無いかということです。

 

このような形での不死の実現という未来もありうるようです。

 

このように、コンピュータの性能に依存したテクノロジーの進化は、あらゆる問題を解決していくかに見えます。

 

しかし、人間が情報的存在となり、ネットと繋がってどこまでも情報的存在の自分が広大に広がった時、人間をどう定義すれば良いのでしょうか?

 

どこからどこまでが自分と言えるのでしょうか?

 

このように、

 

「そもそも人間とは何なのか?」

 

という哲学的命題に必ず突き当たることになります。

 

自分が何者かも定義できず、情報体として生き続ける未来の人類の姿は、私たちが真に望む姿なのでしょうか?

 

ここで東洋に目を転じて見たときに、

2500年前、釈迦は人間の本質についてこのように触れています

 

「不生不滅」

 

すなわち、本当の人間は、生まれてもいないから死ぬこともない

諸行無常諸法無我

このように定義しているのです。

 

このような東洋の叡智に、今着目すべき時ではないかと思います。

 

聖徳太子もこのように語っています。

 

「世間虚仮 唯仏是真」

 

世間、すなわち現実世界とは虚であり仮である

要は現実は幻だということです

 

そして、ただ仏のみ実在している、それが真であると言っています

 

仏とは、釈迦が言った不生不滅の世界と同じと考えられます。

 

人間の本質は、今この瞬間、無条件で不老不死

そのことを認識して生きることができるのです。

 

何にも囚われない

死の恐怖すらも超克できる不動心の境地

 

21世紀はそのような不老不死を”認識”できる尊厳そのものの人類へとアップグレードする時であると考えています。

 

それを、宗教、思想、哲学のレベルではなく、

科学的に再現可能な技術を通して実現していくのです。

 

それが認識技術 nTech

 

長い人類歴史において、ついに人間が死からの解放を実現する時代が訪れたということです。

 

 

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「ホモ・デウス」から学ぶ人類進化の方向性

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世界的ベストセラーになった『サピエンス全史』の著者

ユヴァル・ノア・ハラリ氏の最新作『ホモ・デウスを読みました。

 

一言で感想を言えば、

 

非常に面白い!

 

人類史をマクロ的に俯瞰しつつ、人類という集団が21世紀に何を希求し、

そして、どこに向かおうとするのか、非常に示唆と精緻に富んでおり、

読み手の心をくすぐってくれます。

 

上下巻に渡る大作のため、読むにはそれなりの覚悟が必要ですが、

これからの生き方を考える上でもご一読頂けたらとと思います。

 

この本のテーマを一言で言えば、

 

「人類(ホモ・サピエンス)は科学技術の進化によって、神のような新人類(ホモ・デウス)へと進化を遂げていく」

 

ということになると思います。

 

本書の第1章にその全体像が書いてあるのですが、

今回はその第1章のポイントを共有しながら、私見も述べていきたいと思います。

 

今までの人類は、概ね3つの大きな課題の解決に取り組んできた歴史であった。

その3つとは?

 

1.飢饉

2.疫病

3.戦争

 

これら3つの要素は、歴史上とてつもない数の人類を葬ってきました。

 

その数たるや、尋常な数ではありません。

 

ゆえに、本来120歳まで生きる事ができるはずの人間の肉体であるにも関わらず、その天寿を全うできず人生の幕を下ろしてしまうため、人類の平均寿命はとても低い状態で推移してきました。

 

しかし、20世紀に入り、2つの大きな大戦があったとは言え、その裏で科学技術の目覚しい進歩があったことは多くの人が知ることでしょう。

 

科学の進歩は医療技術の進歩へと繋がり、また、衛生状態の改善に貢献しました。

その結果、20世紀の100年間に人類の寿命は

40歳から70歳へと、ほぼ倍の水準にまで伸びることになります。

 

疫病や、病気の制圧というところまではいけていないかもしれませんが、将来的なテクノロジーの進歩を考えれば、ほぼ統制可能なところまで来たと言えると思います。

 

また、科学技術は農作物の大量生産を可能にし、一方で、ある程度飢饉を制圧できるところまできました。

もちろん世界には未だ食糧不足で苦しむ人たちも多くいらっしゃいますが、大局的に人類史を見た時に、その割合は圧倒的に低くなっているのは間違いありません。

 

戦争についても、核兵器というものを生み出し、

原爆を実際に投下することを通して、人類は気づきました。

 

「これは人間が使うものではない」と。

 

そして、今やコンピュータ制御された核兵器は、

一旦、どこかの国が核兵器の発射ボタンを押そうものなら、

自動的に報復攻撃に出るようプログラムされています。

 

つまり、核兵器のボタンを押すことは、すなわち

人類の集団自殺そのものに他なりません。

そういう意味では、テロなどは今後も続く可能性があるものの、

核兵器を使った世界大戦など普通に考えたら起こりえないものです。

 

実際に、世界における年間の死亡者数が5600万程いる中で、暴力によって死亡する人は50万人程度、その中でも戦争や紛争で無くなる方は10万人程と言われています。

これは、昔に比べればとてつもなく低い割合です。

 

そして、メインの戦場は今や物理的な戦争ではなく、サイバー戦争へと移行しています。

そういう意味では、物理的な攻撃によって死亡する人はこれから益々減っていくと思われます。

 

このように、飢饉、疫病、戦争の解決に忙しかった人類が、

それらをある程度統制可能なところまで進化してきた21世紀、

次に望むものとは何でしょうか?

 

それがまさに、ホモ・デウスへの進化であると筆者は言います。

 

その要素を3つで整理しています。それが、

 

1.不死

2.幸福

3.神聖

 

これらについては、また別記事で細かく触れていきたいと思いますが、

幸福については過去記事で少し触れていますのでご参照下さい。

 

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科学技術とは、西洋主導の近代歴史の中で急激に進歩してきました。

西洋とは、すなわちキリスト教が大きな影響力を持っている社会であり、

その思想の根底には神への崇拝、畏敬、憧れがあります。

 

一見宗教とは一線を画しているとイメージされる物理学者ですが、物理的真理を追求するモチベーションは、神の心、神の設計図を知りたいという探究心に由来するところも大きいでしょう。

 

ですから、西洋人は本質的に神に近づきたいし、さらには神のようになりたいと考えるのも自然なことなのかもしれません。

 

東洋、特に日本人は、縄文由来のアニミズム的な考え方や、神道八百万の神々的な発想が根付いていたりしますので、神様が割と身近ですよね。

 

人間も神にして神社に祀ったり、お地蔵さんを拝んだり、万物に神が宿るといった世界観があります。

 

しかし、西洋は超越した神、あるいはギリシャ神話に見られるような怒る神のイメージが根強いため、人間と神の概念の間に距離があるように思います。

 

それゆえに、神との距離を縮めたい、神に近づきたいと余計に思うのかもしれません。

 

西洋は、そのモチベーションを源泉に、科学の力を使って神に近づき、神のごとき人間へと進化しようとしています。

 

これは人間個人というよりも、人類集団全体の方向性であると

ユヴァル・ノア・ハラリ氏は言及しています。

 

では、科学技術によって、どのように不死や幸福や神聖を獲得しようとしているのか?

それについては、次の記事で触れていきたいと思います。

 

科学技術によって不死や幸福や神聖を獲得しようとする流れもありますが、

認識技術によって不死や幸福や神聖を獲得する道もあります。

 

そのことについても合わせて記事にしていきますが、

認識技術「nTech」については、取り急ぎこちらをご参照下さい。

 

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