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尊厳City研究所 大川ともゆきのブログ

情報化社会の新しいツール

情報化社会と言われて久しいですが、

産業社会とどのような差別性があるのでしょうか?それを理解することは、情報化社会を生きる一人ひとりの生き方に大きく影響することでもあります。
産業社会とは生きるルールがまったく変わってくるのが情報化社会です。いつまでも昔のルールのまま頑張っていては、サッカーが上手くなりたいと思って頑張っているのに、一生懸命バットを振っているようなものです。

 

さて、その差別性を多様な観点から語ることが出来ますが、今回は認識方式の差別性をテーマにしてみたいと思います。
まだ第二次大戦中の1942年に、世界初のデジタル計算機が発明されます。その後コンピュータは飛躍的進化を遂げながら、1960年代には情報化社会という概念が生まれていくようになります。
人間がやっていた情報処理計算を全部機械がやってくれるようになり、劣化しやすいアナログ文書を、デジタル化して保管することもできるようになります。 写真もアナログからデジタルに、TVもアナログからデジタルに、音楽もアナログからデジタルに。
あらゆるものがデジタル化され、情報化されてきたのが情報化社会です。
便利ですよねー

大量のレコードが、小さいiPod nanoの中に全て入ってしまうのですから。
大量の写真がPCの中で保管でき、自由に編集ができてしまうのですから。
TVを録画しても、ビデオテープを山積みにする必要は無くなりました。

アナログからデジタルに移行することで、様々なものがシンプルに整理できるようになり、また編集、デザインもしやすくなることで、それらを組み合わせて新しい作品も創造しやすくなりました。いわゆるデジタルコンテンツというもの開発し、youtubeなどで公開する人も急増し、ネットを使って収入を得ることも出来る時代です。

しかし、肝心のものがいまだデジタル化されていません。ですから、本当の意味での情報化社会はまだ到来してはいないのです。
それが何かと言いますと、人間の認識方式です。人間は相変わらずアナログの認識方式、理解方式のままです。
それはどういうことでしょうか。
脳科学の発達により、私たちが認識している多様な存在は、あくまで脳の認識の結果である事がわかってきました。ここでは具体的な説明は割愛しますが、存在は絶対的に存在するのではなく、一人ひとりの脳が生み出しているということが、間も無く常識になっていきます。
となると、存在現象の認識の仕方、理解の仕方を今までと変化させる必要が出てくるのです。今のまま、存在が絶対的に存在するという時代遅れの認識方式を続けていては、大量の情報が飛び交う現代社会において、本来道具である情報によって逆に支配され、心を病んでしまい、生きる意味価値も感じられず、人間関係も上手く作れないといった人が急増していきます。
存在が存在するという前提のアナログ的な認識方式、理解方式が常識的ではあるでしょうが、これからは非常識になっていくでしょう。
存在は脳が無から生み出しているのです。無から有が生まれては消えている・・・
まさにデジタル的な認識方式、理解方式が主流になっていくのが情報化社会です。
この新しい認識方式を活用することで、多様な情報、イメージをシンプルに整理整頓でき、自由に編集、デザインして、コンテンツ時代に相応しい新時代のコンテンツを生み出していけるようになります。それを可能とする次世代のツールとしてイメージ言語というものがあります。
今、そのイメージ言語を期間限定で無料公開しておりますので、なるべく早くその未来技術、未来価値と出会って頂きたいと思います。