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尊厳City研究所 大川ともゆきのブログ

人類が求める幸福を得るために

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イギリスの哲学者ジェレミーベンサムは18世紀末に、

至高の善は「最大多数の最大幸福」であると断言し、

国家と市場と科学界の唯一の価値ある目標は、

全世界の幸福を増進することであると結論づけました。

 

そのようなベンサムのビジョンを支持する人は多かったのですが、

国家は国民の幸福ではなく、領土の大きさや人口の増加、GDPの成長に走り、

企業は生産性向上による利益の増加と株価の上昇を目標に走ることになりました

 

むしろ、そのような経済的、物質的成功を獲得することが最大多数の最大幸福であると信じるかのように

 

20世紀における、国家の成功を評価する最高の基準は、一人当たりのGDPであったように思います

 

この視点からみると、シンガポールの方が、その3分の1程度の生産性しかないコスタリカと比べて国として成功しているということになります

 

しかし、何度調査しても、コスタリカ人の方がシンガポール人よりもはるかに高い人生の満足度を感じていると報告されているのです

 

あなたは、非常に生産的であっても不満なシンガポール人と、生産性は低いが満ち足りたコスタリカ人、どちらになりたいと思いますか?

 

近年は、思想家や政治家、さらには経済学者までもが、

GDPGDH(国内総幸福)で補足するなり置き換えることを求めるようになっています

 

人間は本当は何を望んでいるのでしょうか?

本当は生産することではなく、幸せになることを望んでいるのではないでしょうか?

 

生産が重要なのは、それが幸福のための物質的基盤を提供してくれるからです

生産性が高いからと言って必ずしも幸福であるわけではないということです

 

生産性の高さ、物資的豊かさを、成功と言い換えた時に

成功=幸福ではないということが言えるでしょう

しかし、いまだに破壊されずに残る20世紀型の価値観は、経済的、物質的成功、生産性を上げることが幸福になると信じ込んでいるように思います

 

21世紀、人類は本格的に幸福の獲得を主要目標に掲げるでしょう

では、幸福とは何なのか?

それはGDPのように客観的データとして表しにくいものです

何故ならば、幸福とはあくまで主観的な感覚だからです

 

人間以外をいかに変化させて、加工して、人間と出会わせようとも、本質的な幸福など得られるはずもありません

刺激を与え続けても、必ずその種の刺激に慣れてしまうのが人間です

 

真の幸福とは、その人の認識能力にかかっています

幸福という存在があるのではありません

幸福という認識があるだけです

 

時代はとうとう、人間の認識をコントロールする時代になりました

主観的な感覚である幸福感を、誰もが感じることができる

すなわち再現性ある技術が求められています

 

人間の認識能力を飛躍的に向上させ、幸福人生を送ることができるようになる技術

それが認識技術nTechです

 

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