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尊厳City研究所 大川ともゆきのブログ

「ホモ・デウス」から学ぶ人類進化の方向性

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世界的ベストセラーになった『サピエンス全史』の著者

ユヴァル・ノア・ハラリ氏の最新作『ホモ・デウスを読みました。

 

一言で感想を言えば、

 

非常に面白い!

 

人類史をマクロ的に俯瞰しつつ、人類という集団が21世紀に何を希求し、

そして、どこに向かおうとするのか、非常に示唆と精緻に富んでおり、

読み手の心をくすぐってくれます。

 

上下巻に渡る大作のため、読むにはそれなりの覚悟が必要ですが、

これからの生き方を考える上でもご一読頂けたらとと思います。

 

この本のテーマを一言で言えば、

 

「人類(ホモ・サピエンス)は科学技術の進化によって、神のような新人類(ホモ・デウス)へと進化を遂げていく」

 

ということになると思います。

 

本書の第1章にその全体像が書いてあるのですが、

今回はその第1章のポイントを共有しながら、私見も述べていきたいと思います。

 

今までの人類は、概ね3つの大きな課題の解決に取り組んできた歴史であった。

その3つとは?

 

1.飢饉

2.疫病

3.戦争

 

これら3つの要素は、歴史上とてつもない数の人類を葬ってきました。

 

その数たるや、尋常な数ではありません。

 

ゆえに、本来120歳まで生きる事ができるはずの人間の肉体であるにも関わらず、その天寿を全うできず人生の幕を下ろしてしまうため、人類の平均寿命はとても低い状態で推移してきました。

 

しかし、20世紀に入り、2つの大きな大戦があったとは言え、その裏で科学技術の目覚しい進歩があったことは多くの人が知ることでしょう。

 

科学の進歩は医療技術の進歩へと繋がり、また、衛生状態の改善に貢献しました。

その結果、20世紀の100年間に人類の寿命は

40歳から70歳へと、ほぼ倍の水準にまで伸びることになります。

 

疫病や、病気の制圧というところまではいけていないかもしれませんが、将来的なテクノロジーの進歩を考えれば、ほぼ統制可能なところまで来たと言えると思います。

 

また、科学技術は農作物の大量生産を可能にし、一方で、ある程度飢饉を制圧できるところまできました。

もちろん世界には未だ食糧不足で苦しむ人たちも多くいらっしゃいますが、大局的に人類史を見た時に、その割合は圧倒的に低くなっているのは間違いありません。

 

戦争についても、核兵器というものを生み出し、

原爆を実際に投下することを通して、人類は気づきました。

 

「これは人間が使うものではない」と。

 

そして、今やコンピュータ制御された核兵器は、

一旦、どこかの国が核兵器の発射ボタンを押そうものなら、

自動的に報復攻撃に出るようプログラムされています。

 

つまり、核兵器のボタンを押すことは、すなわち

人類の集団自殺そのものに他なりません。

そういう意味では、テロなどは今後も続く可能性があるものの、

核兵器を使った世界大戦など普通に考えたら起こりえないものです。

 

実際に、世界における年間の死亡者数が5600万程いる中で、暴力によって死亡する人は50万人程度、その中でも戦争や紛争で無くなる方は10万人程と言われています。

これは、昔に比べればとてつもなく低い割合です。

 

そして、メインの戦場は今や物理的な戦争ではなく、サイバー戦争へと移行しています。

そういう意味では、物理的な攻撃によって死亡する人はこれから益々減っていくと思われます。

 

このように、飢饉、疫病、戦争の解決に忙しかった人類が、

それらをある程度統制可能なところまで進化してきた21世紀、

次に望むものとは何でしょうか?

 

それがまさに、ホモ・デウスへの進化であると筆者は言います。

 

その要素を3つで整理しています。それが、

 

1.不死

2.幸福

3.神聖

 

これらについては、また別記事で細かく触れていきたいと思いますが、

幸福については過去記事で少し触れていますのでご参照下さい。

 

songen-city.hatenablog.com

 

科学技術とは、西洋主導の近代歴史の中で急激に進歩してきました。

西洋とは、すなわちキリスト教が大きな影響力を持っている社会であり、

その思想の根底には神への崇拝、畏敬、憧れがあります。

 

一見宗教とは一線を画しているとイメージされる物理学者ですが、物理的真理を追求するモチベーションは、神の心、神の設計図を知りたいという探究心に由来するところも大きいでしょう。

 

ですから、西洋人は本質的に神に近づきたいし、さらには神のようになりたいと考えるのも自然なことなのかもしれません。

 

東洋、特に日本人は、縄文由来のアニミズム的な考え方や、神道八百万の神々的な発想が根付いていたりしますので、神様が割と身近ですよね。

 

人間も神にして神社に祀ったり、お地蔵さんを拝んだり、万物に神が宿るといった世界観があります。

 

しかし、西洋は超越した神、あるいはギリシャ神話に見られるような怒る神のイメージが根強いため、人間と神の概念の間に距離があるように思います。

 

それゆえに、神との距離を縮めたい、神に近づきたいと余計に思うのかもしれません。

 

西洋は、そのモチベーションを源泉に、科学の力を使って神に近づき、神のごとき人間へと進化しようとしています。

 

これは人間個人というよりも、人類集団全体の方向性であると

ユヴァル・ノア・ハラリ氏は言及しています。

 

では、科学技術によって、どのように不死や幸福や神聖を獲得しようとしているのか?

それについては、次の記事で触れていきたいと思います。

 

科学技術によって不死や幸福や神聖を獲得しようとする流れもありますが、

認識技術によって不死や幸福や神聖を獲得する道もあります。

 

そのことについても合わせて記事にしていきますが、

認識技術「nTech」については、取り急ぎこちらをご参照下さい。

 

songen-city.hatenablog.com