Let's 尊厳Life

尊厳City研究所 大川ともゆきのブログ

言語に光を当てる時代

私たちが普段何気無く使う言語、
日本語、英語、スペイン語、ドイツ語、中国語・・・
国が違えば言語も違いますが、実は全ての言語に共通点を見出すことができると思います。

それは5感覚と脳で知覚する世界を大前提に、 部分だけを切り取って名前を付けます。
例えば、ここからここまではボールペンだとか、机だとか。大きいところでは地球や宇宙、小さいところでは原子や素粒子など。
それら名詞化されたものに、動詞や目的語やら修飾語なども加えて文章をつくって表現したりしますね。そして、思考の筋道をつくって論理化したりします。

難しいことは置いておいても、その言語を使って考えたり、理解したり、記憶したり、コミュニケーションしたりしているのは間違いのないことです。

言語とは当然ですが、人間が発明したものです。その起源を辿るならば、文明と言える文明が現れる以前にまで戻ることになります。
当時人間は、厳しい自然環境の中でどのように生き残るのかが一番の問題でした。人間よりも力が強く、簡単に捕食されてしまう動物も沢山いたのです。
そんな中、他の人間と意思疎通し、自然に対抗する協力体制を作るため、また開発した道具の作り方を後世へと伝えるべく、言語が発明されました。
そして、その後進化の過程を経ながら今世まで続く言語の歴史があります。

それだけ長い言語の歴史があるわけですから、その言語そのものに何かを問うということは中々しませんよね。しかし、
「18世紀に生きる一人の人間が一生に得る情報量=現代のNewsWeek誌に一冊分程度」
と言われる超情報化社会において、実はその言語自体を疑わなければならない時にきているのです。
普通に生きていれば、知らず知らずのうちに大量の情報のシャワーにさらされます。
受動的にインプットされた情報は、それこそ散らかったお部屋を片付けるように、情報処理し、キレイに格納されなければ、頭の中は散らかりっぱなしでスッキリしません。
その情報処理する時に使うのが言語ということになりますが、もし、この言語が時代遅れのもので、現代にそぐわないものだとしたらいかがでしょうか?

頭の中が上手に処理されない考えや情報でパンパン状態であれば、人とのコミュニケーションも円滑にいくことは難しいでしょう。考えとストレスで頭パンパン、疎通不能の時代において、さらに鬱や引きこもりや精神異常者による殺人事件、そして自殺など人間の心の荒廃が叫ばれる中、これらの問題の根本原因を探っていくと、実は言語の問題に行きつくことになります。
対症療法的な解決策も必要ですが、根本解決を目指すならば、言語のバージョンアップというところに光を当てる必要があるのではないでしょうか。
言語のバージョンアップ=人間機能のバージョンアップです。
昨今のあらゆる状況、環境が、人間機能のバージョンアップを求めていると感じてなりません。